平成18年 7月9日 

『アルピニスト 野口健 & 炭師 原 伸介 炎の合同講演会』怒濤の結果報告 

百姓・職人集団“サムライ” 代表取乱役 原 伸介
 
 二年越しの恋だった。
「この人なら」という直感があった。
「この人となら」という希望があった。
 アルピニスト・野口健。
「この人なら伝わるはず」。
「この人となら共に伝えられるはず」。
 
 何てったって、野口健である。「違いの分かる男」である。ダバダーダーバダバダーである。
 言わずとしれた、ビッグネーム。無名の僕から見れば、雲の上の人。でも、「必ず会える」という根拠のない自信があった。そして、「この人と二人で『現場の思い』を伝えたい」という希望があり、「会って話せば必ず分かり合える」という直感があった。
 
 直感は、外れていなかった。
「この人と合同講演会をやりたい」と念じて乗り込んだ控え室。
 平成16年、長野市で開催されたあるシンポジウムに、野口健さんはパネリストとして参加することになっていた。僕は主催者に掛け合って、「どうしても直接話がしたい」と強く訴えた。「控え室で、五分だけ」それが主催者側から引き出した最終回答だった。
 
自著(『ボクは炭焼き職人になった』)を手に控え室に入った僕は、怒濤の勢いで健さんに思いをぶつけた。瞬間、直感は確信に変わった。瞬く間に意気投合した二人のテンションは、一気に上がり、熱を帯びた会話は怒濤の勢いで続いた。何度も繰り返される「そう! そうなんですよ!」という相づちと共に、健さんの瞳に輝きが増していくのを、僕ははっきりと見た。
 「是非、今度、サシでお話しましょう」そう呼びかけた僕に、健さんは手を差し出してくれた。固い握手をし、自著を手渡した。「野口健様 環境問題解決の鍵は日本文化の再興にあり 炭師 原 伸介」と生意気に書かれた本だった。
 
 直接お会いしたことで「いける」と確信した僕はすぐにお礼状を書き、熱い気持ちと感謝の意を伝えた。この時既に、夢の夢と思われていた「合同講演会」実現の手応えを感じていた。が、あからさまな行動は品がない。積み重ねが肝要だ。僕は何度も直筆の手紙と直筆ファックスを書いて健さんに送り続けた。年明け、健さんから賀状が届いた。「原さんの本、今読んでいます」と直筆で添えられていた。嬉しかった。
 そしてついに、超・多忙な健さんと(マネージャーが同席していたものの)、ほぼ「サシ」でじっくりと飲む機会を得た。語れば語るほど、呑めば呑むほど、感じていること、考えていることが近いことが分かり、場は盛り上がった。そして、とうとう、「合同講演会」の承諾を、“直接”得た。同席していたマネージャーが「検討してみます」と言った瞬間、健さんが「なに言ってんだよ、絶対やるんだよ。原さん、決定ですから」とつっこんでくれたことが嬉しかった。夢だった合同講演会実現が決まった瞬間だった。夢は、叶う。
 
 なぜ、野口健さんに会いたかったのか。なぜ「この人になら伝わる」「この人となら共に伝えられるはず」と直観したのか。
 それは、彼が「行動するメッセンジャー」だからだ。
 彼には、「現場」がある。そして、自ら先頭に立って行動で示し続ける「愚直」がある。
 「現場」を持つ者の言葉には、魂が宿る。「愚直」こそが、人を動かす。
 彼はヒマラヤ。僕は里山。スケールは違えど、同じ「山」に「現場」を持つ者として、そして、ひとつしか歳が違わない「同世代」として、僕は彼を身近に感じていた。同時に、その行動力に惚れ込んでいた。惚れ込んだ人には直接会いたい。当然の感情。だから、会った。
 そしてますます惚れ込み、共に行動を起こしたいと思った。だから、行動を起こした。当然の結果。
 
 それからいよいよ当日に向けての準備が始まった。そこから先は想像を遙かに超えて大変だった。講演会に呼んでいただいたことは何度もあったが、自ら企画・主催することは初めてだった。
 
 主催は「百姓・職人集団“サムライ”」。何てったって、ウルトラバカチンな炭焼きが代表を務める、あの「一次産業愚連隊」である。何の組織も後ろ盾も持たない、「一匹狼の集い」のようなヤクザな集団だ。こんな集団に、人を集めることができるのか。お金を動かすことができるのか。常識的には、無理である。
 しかし、情熱は常識を超える。
 そして、“サムライ”には最強の武器がある。鉄砲よりも強い「無鉄砲」。「無知」に裏打ちされた「根拠なき自信」。「何だかよく解らないけど、やればできるんじゃない?」「まあ、何とかなるでしょ」という、見通しの甘さに裏打ちされた楽観。
 
 というわけで、会場選びから始まった。世界の野口健を呼ぶのだ。それに見合った会場を借りるのが礼儀ってモンだろう。というわけで、松本でいちばん大きい会場を押さえた。「松本文化会館大ホール」。何と、あの小澤征爾が「サイトウキネンオーケストラ」を指揮する、二千人収容のホールである。
 
 初めての下見のとき、会館のスタッフに案内されてそのホールの舞台に立ったとき、思わず口をついて出た言葉が「…気持ちいい」だった。「こんなでかい会場は分不相応。舞台に立てば原 伸介はビビって考え直すんじゃないか」と予想していた同行の秘書・古畑は、異様に興奮する僕のリアクションを見てため息をついた。
 そして、「気持ちいい」の次に僕の口から出た言葉が、「絶対、ここでやる! オレ、舞台下から八代亜紀みたいにせり上がる!」。
 古畑は絶句した。
 ここに及んで、二千人収容のホール決定。
 
 が、大変なのはそこからだった。いざ借りることを決めてから、実際にどれだけ経費がかかるのか計算してみた。出た。…200万。原 伸介の年収とほぼ同じ額である。
 そして、スタッフ。何も知らずに二千人の会場を借りたが、講演会の運営に詳しい人に聞いたら、「その規模ならスタッフは100人は必要だよ」とのこと。“サムライ”は約10人。
 
 でも、全て、何とかなるのである。情熱は常識を超えるのである。
 ここから先の詳細は面白すぎるので、近いうちに会員制機関誌『季刊“サムライ”』に書きます。お楽しみに。
 
 というわけで(どういうわけか)全て、何とかなったのである。200万からのお金はきっちり必要なだけ集まり、僕は60人を超える最高のスタッフに恵まれ、最高の当日を迎えることができた。
 当日、雨にもかかわらず、しかも、「何の組織も使わない。スタッフにチケット販売のノルマも一切課さない」方針を最後まで貫いたまま、会場には約千人(主催者側発表)の人が来てくださった。本当に、ありがたかった。
 
 『若者よ 夢は仕事になるんだぜ 〜感動は、現場にある〜』と題された夢の合同講演会。ずっと「夢は叶う」と訴えてきた僕は、更に一歩踏み出して、それが具体的に「仕事」になることを伝えたかった。そして、夢を仕事にしちまっている“サムライ”を、世に知らしめたかった。現実こそが説得力。男は背中でモノを言う(なんて言いつつ、いちばん説得力をもっていたのが、「第二部」に登場した「木こりでマタギ(猟師)」のウチのカミさんだったけど)。女も背中でモノを言う。そんな時代。素敵だ。
 
 当日、控え室で健さんと久々の再会。何と、前日までテレビの仕事でインドにいたという。さすが世界のノグチケン。満面の笑みで互いに握手を交わす。その次の言葉が嬉しかった。「原さん! “サムライ”、すごいですね! こんな集団、他にありませんよ!」。『季刊“サムライ”創刊号』を事前にお渡ししていたのだが、それを読んで活動を理解し、絶賛してくださったのだ。日本を知り、世界を知る健さんから、「他にない」と言われた。根拠のない自信が更に膨らみ、「いけるぜ、“サムライ”」と心の中でガッツポーズ。 
 
 構成は、「第一部」が原 伸介と野口健さんのそれぞれの講演。各一時間ずつ。「第二部」が“サムライ”の前職と現職をDVDにまとめた映像(つまり、「夢は仕事になるんだぜ」をリアルに映像で知っていただく企画)のあと、“サムライ”から3人のメンバーに舞台に上がってもらってディスカッション。僕が司会を務め、健さんにコメンテーターになってもらって、“サムライ”メンバーにインタビューするという構成だった。
 
「第一部」開始。トップバッターが僕。ついに、「八代亜紀みたいにせり上がる」という夢が叶う。スモークまで焚いてもらって…。緊張なんてまったくしなかった。喜びと興奮だけがそこにあった。せり上がるリフトに待機する間中、顔がニヤけてしまって困った。自分の本業が何だか分からなくなった。それがまた快感だった。夢は、叶う。そして、二千人収容の舞台で話すのは、「快感」そのものだった。
 僕の次に現れた健さんのトークも絶好調で、こちらが止めなければ10時間くらい喋る勢いだった。会場には笑顔と笑い声が溢れ、舞台袖で見ていた僕は「さすがだなあ」と感心した。
 
 休憩を挟んで、「第二部」。こちらも打ち合わせなしのぶっつけ本番だったが、先述のとおり、女猟師で木こりの女傑(ウチのカミさん)の説得力に、元ドラマー・現スイカ農家の土肥さん(サムライメンバー)の誠実な話しぶり、蔵人(日本酒造りの職人)で有機水稲作りのプロ・長澤さん(サムライメンバー)の、滲み出るような「楽しいよ、この生き方」というオーラが調和して、僕の狙い通りの「一次産業、職人、かっこいいよねえ、素敵だよねえ」という空気が溢れ出ていた。健さんのコメントも質的には的確で(量的には相変わらず止まらないほど多かったけど)、全体でひとつの調和が取れていた。大満足。
 
 そして、当日のスタッフの動きと対応も完璧で、お客様の反響も好意的なものばかりだった。僕にはただただ、「感謝」しかなかった。やる前は、「無謀」と言われて笑われたが、やればできるのだ。それを示したかった。確かに、ここに書けないような大変なことは山ほどあったけど、全て笑って切り抜けてきた。そう、笑ってれば何とかなるのだ。それも示したかった。
 「余裕がないから笑えない」なんて言ってる場合じゃない。笑ってないから余裕がなくなるのだ。そう、「笑ってると、余裕ができる」のだ。
 だから、追いつめられるたびに、僕は笑った。胃が痛くなると笑い、眠れなくなると笑った。過労で体が動かなくなると笑い、お金がなくなると笑った。そして、全て何とかなった。何とかなるたび、自信が大きくなっていった。「何だよ、やれば、できるじゃん」。そしてまた、笑った。
 
  詳細を割愛して尚、長くなってしまいました。
 以上、炎の合同講演会活動報告でした。いやあ、合同講演会って、ほんとうにいいもんですね。
 
 人生は、楽しい。夢は、叶う。